バヌアツ訪問記その2

カルチャーショック
だれにでも少なからず、一つや二つカルチャーショックの体験はあるはずだ。私の場合、30年前に訪れたバリがそうだ。それまでにも海外旅行の経験はあったがそれはアメリカであって、まだ西洋文明に浸食されていないところへ行くのはそれが初めてだった。その頃のバリは今とは全く違っていた。まず、クルマはほとんどと言っていいほど走っていなかった。もちろんレンタカーなどあるはずもなく、当時は個人が所有するバイクを交渉して貸してもらい交通手段にしていた。小さなバイクに家族4人が乗っている光景なぞはざらだった。なにもかもがのんびりしていて、「昔の日本はこうだったんだろうな~」、と思わせるような美しい田園風景がただ広がっている。が、しかしそれでいてケチャックやガムランに代表されるように伝統的文化レベルは非常に高い。 その後も海外には幾度も足を運んだが、その時に感じたほどのものを経験することはなかった。そして6年前に初めてバヌアツを訪れたときに、なんだか怪しくも懐かしい気分に浸ることができたのは、あの時の体験があったからだと今になって思ったりもする。

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村にパソコンを
そんな感情を抱いたところにもう一度行く機会ができたのは、3年前のことである。 1回目の訪問の時に偶然紹介された小学校の校長先生からパソコンの支援をお願いされたのだが、如何せんあまりにも遠い。送ろうにも直通の貨物便は運航されていなかった。そんななか、またオーストラリアの姉妹クラブより、前回の診療所にほど近い、別の診療所の増築をする手伝いの依頼が舞い込んだ。ありがたいことに小学校のある場所と同じ村だ。まずは小学校の状況を先発隊のオーストラリアチームから伝えてもらうことにした。残念ながらやはり電気は来ていないらしい。電気が来ていなければどうしようもない。途方に暮れていたところ一筋の光が差し込んだ。聞けば今回の診療所の増築に合わせソーラーパネルを設置するとのこと、これに乗らない手はない。早速、小学校の屋根にソーラーパネルを設置し、その発生した電気をトラック用のバッテリーに蓄え、インバーターを介してパソコンに送るという計画を立てた。これなら電気が来ていなくても大丈夫、あちらは常夏、太陽の光がいつもサンサンと降り注いでいるに違いない、と勝手に想像が膨らんでいく。うまいこと計画はたったが、問題はどのようにして運ぶかだが、ここはオーストラリアのチームに頼みソーラーパネルはお願いすることにして、われわれは、中古のパソコン2台を自分のもののような顔をして持ち込み、帰りは手ぶらで戻ってくることにした。バッテリーは重いので、当然現地調達である。 村に到着し診療所を訪ねると、工事の方はまだ遅れ気味のようである。早速小学校に行ってみると全校生徒が集まっていて、生花で作ったレイを首にかけてくれ歓迎してくれた。あまりの歓待ぶりにびっくりするやら恥ずかしいやら。しかし、やはりうれしいもので遠くまで来たかいがあったとみな感動する。(今回は天国に一番近い島のニューカレドニアを経由してバヌアツに入った)小さな板張りの土間のランチルームに100人ばかりが集合しすごい熱気である。ガラスの窓などはなく、板窓をつっかえ棒であける程度なので中は薄暗い、そんななか大きな瞳だけがぎらぎらと輝きこちらを凝視している。みんな見慣れない、もしかしたら初めて見る日本人に興味津々といったところだ。今回はパソコンの設置だけではなく、前回同様に古着のTシャツや文房具もたくさん持ってきたのだが、せっかくなので日本文化の紹介も兼ねる意味でゆかた(娘のおふる)も持って行き子どもたちに着せてあげた。その時の、はにかんだかわいい笑顔は今も記憶に新しい。そして折り紙を教えたり竹とんぼで遊んだりと、あっという間に時が過ぎ、しばし子どもたちと楽しむことができた。そのあとは汗を流して計画どおりパソコンを2台設置することができ、先生方にもたいへん喜んでもらった。いくつかの英語の教材もインストールしたが、これからどんなふうに使われるのか楽しみである。

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写真 : 村にプロジェクターを寄贈

村での歓迎
昼食は村の女性たちが地元の料理を作ってくれていたのだが、これがどうしてなかなかいける味である。ハエがたかるのは今ひとつだが、タロイモやサツマイモをココナッツミルクで煮込んだものは本当に美味しかった。しかし、なぜか不思議にもそこには炊いたご飯が洗面器にいっぱい用意してある。ここにきて田んぼなんか一枚も見ていなかったので聞いてみると、米は中国からの輸入米でこちらでは最近一般家庭でも食べるそうだ。

文明開化
実は今回、とても信じがたい光景を目の当たりにし、わが目を疑った。前回は島の中心部でしか電話は通じず、もちろんこの村にはあるはずもなかったのだが、なんと3年のうちに携帯電話が普及し始めていたのである。これにはいささか驚いた。確かにテレビでアフリカのマサイ族が荒野の中で民族衣装を纏い携帯電話を操っている場面に出くわしたことがあるが、まさにそれと同じ現象がここバヌアツでも起きていたのである。機種は電話だけのオーソドックスなもので大きな画面も付いておらず形も小ぶりのものだ。そういえば、町には赤いパラソルに女の子がひとりぽつんと座っているのを見かけ不思議に思っていたが、実は携帯の充電屋さんだったのである。まだ実際に持つことのできる人は限られているとはいえ、アンテナを1つ建てさえすれば良いので、あっという間に広まってしまうのだろう。バリなんかに西洋文明が入ってきたのとは比べ物にならない速さで、今後この島にも良しにつけ悪しきにつけいろいろなものが入ってくるように思われる。それはもうだれにも止めることができない事実なのである。町のレコード屋の店先においてある音楽ビデオを流している小さなテレビの前には、若い人が黒だかりなのだ。 村を後にして帰路、町のホテルに宿泊した時のこと事だが、偶然ドイツ人青年に知り合ったのだが、なんでも結婚を間近に控え独身最後の一人旅なのだそうだ。お酒も入り仲良くなったそんな彼から投げかけられた質問がこれだ。「果たして彼らに西洋文明を持ちこむことが本当に彼らの支援になるのだろうか?」というものである。咄嗟のディープな投げかけに一瞬戸惑ったのも事実だが、下手な英語も災いし、ちゃんとしたこちらのスタンスも説明できなかったのもまた事実である。そしてこれ以後このことがずっと頭の片隅から消えなくなってしまった。だってこの島は今でも「世界でいちばん幸せな国」なのだから。  つづく



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by flora240 | 2011-02-20 13:28 | バヌアツ